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2026年9月5日付の日本経済新聞(朝刊)に、興味深い記事が掲載されていました。IHIやフジクラといった大企業が、長期金利の上昇を受けて、ROIC(投下資本利益率)とWACC(加重平均資本コスト)の差——当ブログで繰り返し登場してきた「スプレッド」——を経営の中心的なモノサシに据え始めている、という内容です。
長期金利3%の警鐘(3)
非中核事業、迫られる再編 企業、採算ライン押上げ
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO98601080V00C26A9MM8000/ーー2026年9月5日、日本経済新聞朝刊
正直なところ、私も最初は「機関投資家の実務で使う概念を、個人の不動産投資に持ち込むこと、そして賃貸経営と企業経営を一体の理論のうえで論じることは強引ではないか」という気後れがありました。ですが、この記事を読んで、その気後れは要らなかったと感じています。IHIの取締役会が借換時の金利水準を話題にし、WACCの上昇を意識しながら投資先を選別する構図は、私たちが自分の物件のNOI利回りと「自分版WACC」を見比べる構図と、数式のレベルで完全に一致しているからです。
大企業も、賃貸マンションのオーナーも、見ているものは同じです。スプレッド(利益率 − 資本コスト)がプラスかどうか。それだけです。
IHIとフジクラの取締役会で起きていること
記事によれば、IHIの大嶋裕美常務執行役員は「金利ある世界で経営経験のある人はほとんどいない」と述べています。長期金利がおよそ1%前後で推移していた2024年時点、IHIはWACCを4〜6%程度と想定していました。ところが足元の金利上昇により、WACCは単純計算で数ポイント押し上げられる見込みだといいます。
同社の2027年3月期のROICは10.5%前後の見込みで、前期比では微減です。ROICがWACCを下回れば企業価値は目減りする——これは最重要理論シリーズで繰り返し確認してきた原則そのものです。IHIは防衛や原子力といった成長分野に資金配分を集中させる方針で、29年3月期までの3年間に6,500億円を投じるとしています。
フジクラはさらに踏み込んでいます。生成AI向けのデータセンター関連製品に、今後3年間で5,300億円を投じる計画です。注目すべきは、27年3月期のWACC想定を「6%から11%へ」引き上げたという点です。金利上昇局面で資本コストの前提を大胆に見直し、その高いハードルを上回るROICを狙うという、いわば「スプレッドを死守する」経営判断だといえます。
ROICとWACCの差は、まぎれもなく「スプレッド」である
最重要理論シリーズでは、NAVの年間増加額を次の式で捉えてきました。
NAV年間増加額 = スケール(AUM)× スプレッド(=NOI利回り − 自分版WACC)− 税
このスプレッドの部分——NOI利回りから自分版WACCを引いた差——は、機関投資家の世界における「ROICスプレッド(ROIC − WACC)」の個人不動産投資版にほかなりません。呼び方が違うだけで、構造はまったく同じです。
- 企業にとっての「投下資本」= 個人投資家にとっての「物件取得価格(またはエクイティ+借入)」
- 企業にとっての「ROIC」= 個人投資家にとっての「NOI利回り」
- 企業にとっての「WACC」= 個人投資家にとっての「自分版WACC」(エクイティの期待収益率と借入金利の加重平均)
野村証券の集計によると、金融を除く主要200社超の2026年度の平均ROICはおよそ6%、前年度比0.7ポイント上昇し、5%台とみられる平均WACCを上回る見通しだといいます。価格転嫁や円安を背景にスプレッドはかろうじてプラスを保っているものの、2桁台にある欧米企業のROIC水準と比べると、見劣りする状況が続いています。
日本企業全体で見ても、スプレッドはギリギリのプラス圏。これは、私たちが物件のNOI利回りと自分版WACCを見比べる際に感じる緊張感と、驚くほど近いものです。
業種によってスプレッドはこれほど違う
記事に掲載されていた野村証券のデータ(2026年度予想、ラッセル・野村ラージキャップ分類)を見ると、業種間の差がはっきり表れています。
- 電機・精密:ROICがWACCを大きく上回り、高いスプレッドを確保
- ソフトウエア:同様に高スプレッド
- 機械:ROICとWACCがほぼ拮抗
- 化学:ほぼ拮抗
- サービス:WACCがROICをやや上回る(スプレッドがマイナス圏)
- 自動車:ROICがWACCの半分程度にとどまり、スプレッドが大きくマイナス
自動車業界は次世代車開発などで巨額投資が求められる一方、海外勢との競争激化で稼ぐ力が追いついていない状況です。スプレッドがマイナスの状態で規模(スケール)だけを追い求めれば、NAVはむしろ毀損する——最重要理論の枠組みに当てはめれば、これはごく自然な帰結です。
不動産投資でも同じことが起こり得ます。利回りの低い物件を、借入コストを度外視して規模だけ拡大すれば、スプレッドはマイナスに転じ、AUMを増やすほどNAVが減っていく。自動車業界の苦境は、他人事とは思えない数値です。
数値例で確認する
いつもの設定で確認してみましょう。1億円の物件(エクイティ2,000万円、借入8,000万円)を保有しているとします。
NOI利回りが5.5%、借入金利が2.0%だとすると、自分版WACC(簡便的にエクイティの期待収益率を8%と仮定した加重平均)は、
WACC = 0.2 × 8% + 0.8 × 2.0% = 1.6% + 1.6% = 3.2%
このとき、スプレッドは 5.5% − 3.2% = 2.3%。IHIやフジクラが目指す「WACCを上回るROIC」を、私たちも自分の物件で日々確認していることになります。
もし借入金利が上昇し(金融機関の融資姿勢が厳しくなり)、自分版WACCが4.5%まで上がったとしたらどうでしょうか。スプレッドは5.5% − 4.5% = 1.0%まで縮小します。フジクラがWACC想定を6%から11%へ引き上げたように、私たちも「金利のある世界」では、自分版WACCの前提を定期的に見直す必要があるということです。
留保:数字はあくまで目安である
いくつか、誠実に補足しておくべき点があります。
第一に、ROICは会計上の利益(NOPATなど)をベースにした指標であり、企業ごとの会計処理の違いによってブレが生じます。NOI利回りも同様に、修繕費の計上タイミングなどで数値が変動します。厳密な比較には限界があることを承知しておく必要があります。
第二に、WACCの前提(株主資本コストの想定など)は企業によって大きく異なります。フジクラが6%から11%へ引き上げたように、同じ企業でも時期によって前提が変わります。「自分版WACC」も、一度決めたら固定するものではなく、金利環境や自分自身のリスク許容度に応じて見直すべき数値です。
第三に、野村証券の集計はあくまで平均値であり、個社ごとのばらつきは大きいという点です。平均でプラスのスプレッドが確保されていても、業種や個社によっては大きくマイナスの状態もあり得ます(自動車業界がその典型です)。「平均」という言葉の扱いには、いつも以上に慎重でありたいと思います。
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