これまで本シリーズでは、「個人の不動産投資 ⇔ 機関投資家が行う不動産投資」の共通性を主眼に置いてきました。
今回は少しカメラを引いて、俯瞰的なお話をします。
結論から先にお伝えします。
不動産投資(個人・機関投資家)と、不動産をまったくかけ離れてるように見える一般の企業経営ですが実は、価値創造の原理が完全に同一です。
三者すべてで、価値の源泉は次のひとつに尽きます。
資本利益率 − 資本コスト(=スプレッド)が正であること。 そのうえで、規模を拡大すること。
個人の不動産投資にあてはめれば、資本利益率はNOI利回り、資本コストは自分版WACCです。
本シリーズで繰り返してきた「規模 × スプレッド」という式は、実は不動産ファンド運用と個人の不動産投資に固有のものではありません。
機関投資家の運用でも、上場企業の経営でも、そっくりそのまま使われている普遍的な原理だった——というのが、今回の主題です。
① 投資法人の世界 ―「価値ベースト資産運用」
まず、機関投資家(投資法人)の世界から見ていきます。
何度か引用してきた不動産証券化マスターのテキストには、投資法人の資産運用について、おおむね次のように書かれています。
投資法人における資産運用の目標は①投資主価値の極大化あるいは最大化であり、それを達成するために②不動産投資による長期的に安定した収益確保を目指すこと、および②運用資産の着実な成長を目指すことである。(中略) さて、企業が価値を明示的な目標として行う経営管理の手法は価値ベーストの経営戦略と呼ばれる。本書では、投資法人およびその受託者が価値創造を明示的な運用の目標として行う資産運用手法を「価値ベースト資産運用」(Value Based Asset Management)と呼ぶことにする。
――川口有一郎、栗林達也 (2024)
『2024年度マスター養成講座テキスト 実務演習 不動産証券化商品分析』.一般社団法人不動産証券化協会.p.15
ここで注目したいのは、目標を達成する手段が、きれいに二つへ整理されている点です。
①長期的に安定した収益 → これはスプレッド(資本コストを上回る利回り)の話です。
②運用資産の着実な成長 → これは規模の話です。
つまり、投資法人の運用目標は、言葉を変えれば「スプレッド × 規模」そのものなのです。
本シリーズの初回で紹介した、
EVA = 運用資産残高 ×(ROIC − WACC)
という式は、まさにこの「価値ベースト資産運用」を一行で表したものでした。
② 企業経営の世界 ―「価値ベースト経営」とEVA
次に、不動産を完全に離れます。
資産運用業界の登竜門とされている証券アナリスト資格のテキストには、企業の価値創造について、次のように書かれています。
企業が価値を創造する条件は、資本利益率が資本コストを上回ることである。(中略)資本利益率が資本コストを上回ることが期待される場合、価値が創造され、付加価値の指標であるMVAとEVAの割引現在価値の和は正になり、PBRは1.0より大きくなる。資本コストを下回る資本利益率しか期待できなければ、投資家の資産価値は毀損され、MVAとEVAの割引現在価値の和はマイナスになり、PBRは1.0より小さくなる。
――朝岡大輔、砂川伸幸、上田亮子、鈴木一功、俊野雅司、畠田敬、舟津昌平、安武妙子、山﨑尚志 (2023)
『2023度 証券アナリスト(CMA)講座テキスト2次レベル コーポレート・ファイナンス第2回 コーポレート・ファイナンスの応用とガバナンスの進化』.公益社団法人日本証券アナリスト協会.p.47-48
ここで言う資本利益率と資本コストは、今までの文脈でいう、ROICとWACCと解釈していただいて差し支えないものであります。
PBRが何を表すのか、ここで簡単に触れておきます。
PBR(株価純資産倍率)とは、ごくかみ砕いて言えば、「市場が、その会社の自己資本(帳簿上の純資産)に、何倍の値札をつけているか」を示す数字です。
PBRが1.0ちょうどなら、市場は自己資本の額面どおりの値段しかつけていません。
PBRが1.0を上回るとき、市場は額面以上の値段をつけています。「この会社は、預かった資本を使って、資本コストを超える価値を生み出してくれる」と評価されている状態です。言いかえれば、投じた1円が、1円より大きな価値を生んでいる、ということです。
逆にPBRが1.0を下回るとき、市場は額面以下の値段しかつけていません。「この会社に資本を預けても、預けた分の価値すら生み出せない——むしろ目減りさせてしまう」と見られている状態です。投じた1円が、1円未満の価値にしかなっていない。
つまりPBRとは、スプレッドが正か負かに対して、市場がつけた“通信簿”のようなものなのです。
そして、企業の付加価値を表すEVA(経済的付加価値)は、次のように書けます。
EVA = 投下資本 ×(ROIC − WACC)
ご覧のとおり、投資法人の式とまったく同じ形です。
記号も、発想も、変わりません。投下資本(=規模)に、ROIC − WACC(=スプレッド)を掛けているだけです。
ちなみに、このスプレッドを「ROIC − WACC」という形で表すのは、比較的新しい言い方です。
考え方そのものは、ずっと古くからありました。
かつては「残余利益(Residual Income)」という概念で語られていたものです。
稼いだ利益から「投下資本 × 要求資本収益率」——つまり、資本を使わせてもらうことへの対価——を差し引いて、その残り(残余)がプラスかどうかを見る。これが残余利益の発想です。
利益が黒字でも、要求される資本収益率を賄えていなければ、価値は生まれていない。
この厳しい見方は、20世紀半ばにはすでに大企業の業績管理に使われており、源流をたどれば19世紀の経済学(マーシャルの「経済的利潤」)にまで遡ります。
EVA(ROIC − WACC)は、この古典的な「残余利益 = 稼いだ利益 ー 投下資本 × 要求資本収益率」という考え方を、現代的な指標として洗練し直したものにすぎません。
呼び名は変わっても、「資本コストを超えて稼いだか?」という問いの本質は、100年以上、何ひとつ変わっていないのです。
③ 個人の不動産投資の世界 ― NAV年間増加の式
最後に、本シリーズの主役である個人の不動産投資に戻ります。
これまで組み立ててきた式は、次のものでした。
NAV(の年間増加分)= 運用残高 ×(NOI利回り − 自分版WACC)− 税金
ここでも、構造はまったく同じです。
運用残高(=規模)に、NOI利回り − 自分版WACC(=スプレッド)を掛けている。
税金という現実的な控除項がつくだけで、骨格は投資法人のEVAとも、企業のEVAとも、寸分違いません。
三者は「同じ一本の式」の、三つの顔
ここまでを、一枚の表に並べてみます。
| 領域 | 資本利益率(リターン) | 資本コスト | 規模 | 価値創造の指標 |
|---|---|---|---|---|
| 一般の企業経営 | ROIC | WACC | 投下資本 | EVA・MVA・PBR |
| 投資法人(不動産ファンド) | 運用資産のROIC | WACC | 運用資産残高 | 投資主価値・NAV |
| 個人の不動産投資 | NOI利回り | 自分版WACC | 運用残高 | NAV(自己資本) |
呼び名は三者三様ですが、やっていることは一つです。
「どれだけの資産(規模)を使って」「資本コストを上回るリターン(スプレッド)を」生み出しているか。
ただ、それだけを見ています。
何兆円もの投下資本を動かす上場企業のCFOも、何千億円を運用する投資法人の運用者も、一棟のアパートを持つ個人も——評価されているモノサシは、完全に同一なのです。
なぜ、三つは同じなのか ― 系譜をたどる
三つの式がここまでそっくりなのは、偶然ではありません。
そもそも、この「スプレッド × 規模」という考え方は、一つの源流から枝分かれして伝わってきたものだからです。
流れを整理すると、こうなります。
企業経営(価値ベースト経営)→ ファンド運用(価値ベースト資産運用)(→ 個人の不動産投資への応用の試み)
そして、この手の経営・金融の枠組みの多くがそうであるように、これもまずアメリカで生まれ、のちに日本へ輸入されたものです。
1980〜90年代のアメリカで、企業価値を明示的な目標に据える「価値ベースト経営(Value Based Management)」が広まりました。スターン・スチュワート社が提唱したEVAや、マッキンゼーらによる企業価値評価の体系が、その代表例です。
この「資本コストを上回るリターンを、規模で稼ぐ」という発想が、やがて資産運用——とりわけ不動産ファンドやREITの運用——へと応用されていきます。
日本では、2001年のJ-REIT誕生を一つの起点として、この枠組みが不動産運用に本格的に取り込まれました。
冒頭で引用した「価値ベースト資産運用(Value Based Asset Management)」という名前自体が、企業経営の「価値ベースト経営(Value Based Management)」をなぞって付けられたものと思料しております。
本記事では、私自身に身近な順として①投資法人 → ②企業経営の順で見てきましたが、歴史をたどると、流れはむしろ逆です。
企業経営こそがアイデアの源流であり、そこからファンド運用へ、そしていま、個人投資家である私たちの物件運用に応用させようとしている——というわけです。
三つが同じ式で動いているのは、もとが同じだから。考えてみれば、ごく自然なことなのです。
なぜ、これが個人投資家にとって重要なのか
ここで、先ほど保留していたPBRの話に戻ります。
PBRが1.0を超えるか、下回るか。
これを個人投資家の言葉に翻訳すると、「自分の自己資本(エクイティ)が、増えているか、減っているか」に対応します。
スプレッドが正なら、規模を拡大するほど自己資本が増える(PBR > 1 の世界)。
スプレッドが負なら、規模を拡大するほど自己資本が毀損する(PBR < 1 の世界)。
ここに、本シリーズが繰り返し強調してきたことの核心があります。
たとえば、本シリーズでおなじみの「1億円の物件・自己資本2,000万円・借入8,000万円」で考えてみます。
NOI利回りが6%、自分版WACCが4%なら、スプレッドは+2%。年間のNAV増加は、ざっくり 1億円 × 2% = 約200万円。自己資本2,000万円が、毎年着実に育っていきます。
ところが、NOI利回りが3.5%で自分版WACCが4%なら、スプレッドは −0.5%。年間のNAV増加は 1億円 ×(−0.5%)= 約 −50万円。規模を増やすほど、自己資本が削れていくわけです。
「借入をして規模を拡大すれば、資産は増える」——これは半分しか正しくありません。
スプレッドが正でない物件を、借金で買い増せば買い増すほど、自己資本は痛みます。
規模拡大は、スプレッドが正であることを大前提として、初めて意味を持つ。
順序を間違えると、規模はリターンではなく、リスクを増幅させるだけの装置に変わります。
これは企業経営でいえば、ROIC < WACC の事業に再投資を続ける会社と同じです。
そういう会社のPBRは1.0を割り込み、「成長するほど価値を毀損する」状態に陥ります。
個人の不動産投資でも、まったく同じことが起こるのです。
まとめ ― 才能ではなく、構造の問題
本シリーズで一貫してお伝えしてきたのは、不動産投資の成否は、個人の才能やセンスではなく、構造と再現性の問題だ、ということでした。
今回お見せしたかったのは、その「構造」が、実は不動産に限った話ですらない、ということ、かつ、「投資の慣行」や「属人的な経験譚」ではなく、学術的はバックボーンを持った理論に立脚したものであるということです。
企業経営も、機関投資家の運用も、個人の不動産投資も、価値創造の原理は——
スプレッド(資本利益率 − 資本コスト)が正であること。 そのうえで、規模を拡大すること。
——という、たった一つの式に集約されます。
逆に言えば、この一本の式さえ握っていれば、個人投資家は、巨大企業のCFOやプロのファンドマネージャーと、同じ土俵・同じモノサシで、自分の投資を遂行・評価できるということです。


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