以前、最重要理論⑧の記事の最後に、私はひとつの問いを残したまま記事を閉じました:「IRRが高い案件と、NPVが大きい案件。どちらを選ぶべきか?」
このシリーズの最終回では、まずこの宿題に答えます。そしてその答えをそのまま使って、もう一段大きな問いに踏み込みます。2026年6月にこの記事の初稿を書いていますが、株価が史上最高値を更新し、貸出金利も上がってきたこの局面で、それでも不動産投資をする意味はあるのか、という問いです。
まず「IRRが高い案件と、NPVが大きい案件。どちらを選ぶべきか?」という問いへの回答から書きます。資本の制約がないのであれば、選ぶべきはNPVが大きいほうです。そして「いま、なお不動産投資をする意味」は、まさにこのNPVの論理からきれいに説明できます。タイミングよく株を買えた人にはIRR(効率)で敵わないかもしれない。それでも、レバレッジで規模を取り、付加価値の絶対額(NPV)を積み上げられるという一点に、不動産投資の現代的な意味が残っています。
順番に見ていきましょう。
⑧の宿題:「IRRが高い案件」と「NPVが大きい案件」、どちらを選ぶか
私の手元にある証券アナリスト試験のテキストには、この問いの答えがほとんどそのまま書かれています。少し長いですが、核心なので引きます。
複数の事業を抱える企業が、各事業の NPV や IRR 等を用いて、事業の順序付けを行うことは十分に考えられる。NPV はその事業が企業にもたらす「付加価値」を表す。したがって、NPV による事業の順序付けは、企業に最も大きな付加価値をもたらす事業を明らかにする。他方、IRR は投資による期待便益と期待費用の価値が等しくなる収益率を表すが、事業の付加価値の大きさを表しているわけではない。それゆえ、IRR の大きさで事業を選択する場合、小さな金額の正の NPV をもつ事業が誤って選択される可能性がある。
――朝岡大輔、砂川伸幸、上田亮子、鈴木一功、俊野雅司、畠田敬、舟津昌平、安武妙子、山﨑尚志 (2024) 『2023度 証券アナリスト(CMA)講座テキスト2次レベル コーポレート・ファイナンス第1回 コーポレート・ファイナンスと企業価値』.公益社団法人日本証券アナリスト協会.p.25
ポイントは一行です。IRRは「率」、NPVは「額」 だということ。
IRRは「投じたお金が、年あたり何%で増えるか」という効率の指標です。一方NPVは「その投資が、自分の資本コストを超えて、いくらの価値を生むか」という絶対額の指標です。
だから、効率がいくら高くても、規模が小さければ生まれる付加価値の総額は小さい。テキストが警告しているのはこの取り違えです。「IRR 20%・利益100万円」の案件と、「IRR 12%・利益1,000万円」の案件があったとき、IRRだけを見ると前者を選んでしまう。けれど、自分の純資産(NAV)を本当に増やすのは、多くの場合後者です。
資本に制約がない、つまり「正のNPVを持つ案件は全部やれる」のであれば、迷う必要はありません。NPVの大きいものから順にやればいい。これが⑧の宿題の答えです。(ただし、実際の企業経営に視点を広げると、使える資本というのは当然無尽蔵ではないわけで、企業経営者やプロジェクト投資の意思決定を担う人々は『リアルオプション』といったより実践に根差した考え方を駆使して、投資の意思決定を行うとされています。余談でした)
この「率と額は別物」という補助線を持って、いまの相場を見てみます。
まず正直に認めます。この5〜10年、株を買っていた人は圧倒的な利益を享受しました
このシリーズは「不動産投資をちゃんと考える」ことが目的ですが、だからといって株を不当に下げるつもりはありません。むしろ最初に、いちばん都合の悪い事実を認めておきます。
日経平均は、いまや7万円に届こうかという史上最高値圏にあります。これを過去と比べると、こうなります。
・10年前(おおよそ16,000円)→ 現在(約70,000円) = 約4.4倍 ・5年前(おおよそ28,800円)→ 現在(約70,000円) = 約2.4倍
一括で買って持ち切ったと仮定すると、IRR(この場合は年平均成長率と同じ)は次のとおりです。
・10年保有のIRR ≒ 年15.9% ・5年保有のIRR ≒ 年19.4%
しかも面白いことに、直近5年(19.4%)のほうが10年通算(15.9%)より高い。つまり「上がり方がさらに加速した」局面でした。配当を再投資していれば、数字はさらに上振れます。
これを、このシリーズおなじみの「自己資金2,000万円」に当てはめると、こうです。
・10年前に2,000万円 → 約8,750万円 ・5年前に2,000万円 → 約4,860万円
掘り出し物の個別株を探す必要すらありません。日経平均やTOPIXに連動するインデックスファンドを、ただ買って持っていただけ。それでこの結果です。IRR(効率)でも、増えた絶対額でも、タイミングよく株を買った人の完勝でした。ここは認めましょう。
では、不動産投資に意味はないのでしょうか。
ただし、それは「再現できる勝ち方」だったのか
ここでシリーズの一貫したテーマに戻ります。私がずっと書いてきたのは、不動産投資の成功は、才能やタイミングではなく、構造と再現性からくる、ということでした。同じ物差しを、株のリターンにも当ててみます。
あの15〜19%というIRRは、何が生んだものでしょうか。企業の利益が毎年15%成長したからではありません。主因は、PER(株価収益率)の切り上がり、円安、そしてAI・半導体への期待という、一度きりの環境変化(リレーティング) です。後から振り返れば一本道に見えますが、5年前・10年前のあの時点で「ここが底だ、全力で買え」と確信して動けた個人が、どれだけいたでしょうか。
そして決定的なのは、「これから」同じことができるかです。 過去の株は、後出しなら強い。でも、再現性とこれからの期待値で見ると、輝きは落ち着いてきている。 ここが出発点です。
金利は上がった。それでも不動産には「スケール」がある
では不動産です。正直なところ、逆風はあります。金利が上がったぶん、借入の妙味──すなわちスプレッドは、確実に薄くなりました。かつて1〜2%で借りられた時代と、3%で借りる時代とでは、同じNOI利回りでも残るスプレッドが違います。
それでも、不動産には株にはない武器がひとつあります。レバレッジ=スケールです。
このシリーズおなじみの数字で考えます。
・物件価格:1億円 ・自己資金(エクイティ):2,000万円 ・借入:8,000万円(金利3.0%、30年元利均等) ・NOI:年500万円(NOI利回り5%) ・保有:5年、出口は同じ1億円で売却(キャップレート横ばい)
借入8,000万円・3%・30年の年間返済はおよそ408万円。NOI 500万円から返済を引くと、手残りは年およそ92万円です。5年後のローン残高は約7,100万円まで減るので、1億円で売れば残債を返して約2,900万円が手元に戻ります。
このエクイティのキャッシュフローからIRRとNPVを計算すると、
・不動産エクイティ IRR ≒ 年11.7% ・NPV(自分版WACC=6%で割引) ≒ +550万円
IRRだけを見れば、過去の幸運な株(15〜19%)には負けています。ここでもう一度、⑧の宿題を思い出してください。問われているのはIRR(率)ではなく、NPV(額)でした。
NPVで見ると、不動産の強みがはっきりする
ここがこの記事の核心です。
NPV──付加価値の絶対額は、ざっくり言えば「投下資本 × スプレッド」で決まります。スプレッドが同じなら、投下した資本が大きいほど、生まれる付加価値の額は大きくなる。当たり前のようですが、これが効いてきます。
個人が株に投じられるのは、基本的に自分のお金だけです。誰も、インデックスファンドを買うために8,000万円を年3%で貸してはくれません。だから株のNPVは、どれだけIRRが高くても、自己資金の大きさで頭打ちになります。図でいえば「背は高いが、幅が狭い」長方形です。
一方、不動産は、銀行の資金を投下資本に組み込めます。自己資金2,000万円で、1億円という5倍のスケールを動かせる。図でいえば「背は低いが、幅が広い」長方形です。そして面積──すなわちNPVは、こちらのほうが大きくなり得る。
これは、企業経営における「資本割当(capital rationing)」の話とちょうど同じ関係です。個人には、自己資金という資本制約がつねにある。レバレッジとは、その制約を押し広げ、自分ひとりでは到底動かせない規模の資本を、正のスプレッドが効く場所に投下できるようにする仕組みなのです。
スプレッドの正体も具体的に見ておきます。
NOI利回り5% − 借入金利3% = スプレッド2% 2% × 借入8,000万円 = 年およそ160万円
この年160万円は、他人(銀行)の資本に、自分のスプレッドを乗せて生み出している付加価値です。金利が上がってスプレッドが薄くなっても、ゼロにならない限り、スケールを掛ければ額として残る。そして繰り返しますが、この160万円は、株では作れません。個人がインデックスにレバレッジを効かせる現実的な手段が、基本的に存在しないからです(信用取引という手段もあるかとは思いますが、長期安定的に運用する手法ではありません)。
並べると、こうなります。
- 過去の株(幸運・実現19%):NPV ≒ +1,600万円 ※後出し・再現の難易度高
- 不動産(正のスプレッド×レバレッジ):NPV ≒ +550万円 ※構造的・再現可能
タイミングを当てた過去の株には、額でも負けます。それは認めます。けれど、「これから」を効率的な市場として見たとき、株の超過リターンがゼロに近づく世界で、なお正のNPVを積めるのが、正のスプレッドを持つレバレッジ不動産なのです。
レバレッジは魔法ではない(出口が9,000万円になった世界)
ここで気持ちよく終わってはいけません。レバレッジは諸刃の剣であり、このシリーズで書いてきた「表面利回りスマイルカーブ」と「スプレッドの監視」が、ここでも前提になります。
同じ案件で、出口だけを変えてみます。キャップレートが上昇し、5年後に1億円ではなく9,000万円でしか売れなかったとしましょう。すると、
・IRR ≒ 年3.6%(11.7%から急落)
・NPV(6%割引) ≒ −200万円(プラスからマイナスへ転落)
スケールは、スプレッドが正のときは付加価値を増幅しますが、スプレッドや出口が崩れた瞬間、同じ倍率で損失を増幅します。だからこそ、再現性のある6〜8%ゾーンを選び、金利上昇局面ではスプレッドの余裕を厚めに見ておく。レバレッジは「正のスプレッドを前提にした増幅装置」であって、それ自体が利益を生む魔法ではありません。
【最終回】才能でもタイミングでもなく、一本の式に畳まれていた
ここまでくると、シリーズ全体が一本の式に畳まれていたことが見えてきます。
NAVの年間増加 = 運用残高 ×(NOI利回り − 自分版WACC)− 税
= スケール × スプレッド
株は、タイミングが合えば高いスプレッド(効率) を与えてくれます。しかし個人にスケールは与えてくれません。投じられるのは、(信用取引のような超例外を除き)いつだって自分のお金だけだからです。
不動産は逆です。スプレッドはせいぜい数%と地味で、金利が上がったいまはなおさら地味になりました。けれど、不動産は個人にスケールを与えてくれる。ほとんど唯一、銀行の資本を借りて運用残高を大きくできる資産だからです。
IRRは、その眩しさで私たちの目を引きます。「株なら年19%だったのに」と。でも、自分の純資産が何円増えるかを決めるのは、率ではなく額──NPVです。そして額は、スケール×スプレッドで決まる。
この好景気に、なお不動産投資をする意味は、ここにあると思っています。株が輝いて見える局面でこそ、IRRの高さに惑わされず、「自分のNAVが、いくら増えるか」というNPVの問いに立ち返る。 効率では株に譲っても、規模を取れるという一点で、不動産はまだ十分に意味のある選択肢であり続けるのではないでしょうか。
⓪から始まったこのシリーズで、私が一貫してお伝えしたかったのは、たったこれだけです。不動産投資は、才能やセンスや運の世界ではない。スケールとスプレッド、その掛け算を、再現性をもって積み上げていく営みだということ。ファンド運用という学術的にある程度確立された理論体系を、個人が行う不動産投資にも応用し、投資の慣行を超えたバックグラウンドを構築してみることで、何か役立つものが得られるのではないかと思ったからです。
このシリーズを最後までお読みいただき、ありがとうございました。次にあなたが物件を見るとき、表面利回りの数字の奥に、この一本の式が透けて見えるようになっていれば、このシリーズの目的は果たせたことになります。

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